流星スコア//(星巡り)01
忘れ物はありませんか。
問われて応とは答えない。答えられるわけもない。
それはそれは、重大なものを忘れた。何を? ――身体を。
「……う」
頭痛い。気持ち悪い。
宿について早々、耐え切れなくなったようにそう訴えたルークが、青い顔で気を失うように眠っておよそ一時間。うめきと共に目を覚ましたルークに気づいて、ガイはほっとしながら声をかけた。
「ようルーク。気分はどうだ?」
だが、ルークからの反応がない。上から覗き込んだガイをまじまじと見る翡翠の目に、何とも言えぬ訝しげな、大袈裟に言えば警戒しているような色が見える気がした。
「ルーク?」
お前の名前だと言い聞かせるようにもう一度呼ぶが、当人は無言で眉をひそめる。
呼びかけに応えぬままにルークはむくりと起き上がった。そして手を顔の前まで持ち上げて、確かめるように手のひらを握り開く動作を繰り返す。かと思えば一つ頭を振ってやや目を見開き、ぺちぺちと首の後ろに手を這わせてそこにある短髪頭を確かめるようにしてから、ようやく口を開いた。
「……なんだこりゃ」
「は?」
首を傾げるガイに構わず、ルークは先程まで寝ていたとは思えないほど、機敏な動きで立ち上がった。そのままずかずかと窓辺まで行くと、足を止める。
街に来た頃には夕暮れ時だったが、今やすっかり夜が訪れて居着いている。街の明かりが見えるくらいだろうに、ルークは窓から顔を出してしばらく外を見渡していた。
ガイが声をかけようかと考え始める頃にようやく窓を閉めたかと思えば、今度はどうやら窓硝子に映った己の姿を見ているようだった。
「おーい、ルーク。何してんだよ、さっきから。ここはグランコクマだぜ」
「グラン、コクマ?」
ルークがまるで初めて聞く名のように繰り返すから、ガイは、寝ぼけてんのか、と思わず苦笑してしまう。
「どうしたんだよ、しっかりしてくれ。覚えてないのか? お前、グランコクマに入ってすぐ調子悪いって倒れたんだよ」
「あ、あー……そう、だっけ」
ルークはやけに歯切れ悪く応答すると、考え込むように腕を組んだ。これはどうにも、話をちゃんと聞けていたか怪しい。
「いつから調子悪かったんだよ。ちゃんと話、聞いてたんだろうな?」
呆れを含みながらも心配も滲ませたガイの問いに、ルークは苦笑を浮かべると、一言「悪い」と返した。それに思わずため息が出る。主に、心配からの方面でだ。
レプリカの一件が発覚し、髪を切って以降。ルークは自分の中に様々なものを抱え込むようになった。傲慢不遜なお坊ちゃんだったルークは、我慢と言うものを余り知らなかったためか、それを隠すのも下手ではあったが、それでも自分を損な役回りに置く事を躊躇わない。彼の中の罪悪感は、無意識下で自らを大切にしないという方向に向かわせているのかもしれなかった。
「ピオニー陛下にジェイドが呼ばれた。それは覚えてるか? まあそもそも陛下の命で動いちゃいたんだが、途中で呼び戻されるとは、何があったんだか」
お前らは完全にとばっちりだけど。とガイは型破りな国王陛下を思い浮かべて苦笑する。わざわざ出向いて来た隣国の仮にも王位継承者を捉まえて、部下共々にお使いを頼むとはあの人らしい。
アブソーブゲートの一件以降、ひとまずは落ち着いた情勢の中、動き出したルークにつられるようにして何だかんだで集まった見慣れた面子も勿論道連れだ。
「まあ、あのジェイドの反応を見る限りじゃ大したことじゃないんだろうが。ジェイドは謁見に行ったよ。もう戻って来る頃かな。……思い出したか?」
「……ああ、なんとなく」
「まったく、頼りないな。ま、とにかく顔を見せに行こうぜ。ティア達もお前があんまり白い顔してるってんで心配してたしな」
未だ曖昧な返事をするルークに笑いながら、ガイは扉へ足を向ける。ルークも肩を竦めながら歩き出した。だが部屋を出ようとしたところで、ふと背後の足音が止まった。
「悪い、先行っててくれ。何かまだ頭すっきりしねえから、顔洗ってから行く」
振り向いたガイに、ルークが備え付けの洗面台を指差す。
「そうか? それじゃ、皆のいる部屋は隣だ。先に行ってるぞ」
ルークの言葉をさして不自然にも思わずに、ガイは言い置くと一足早く部屋を出た。
彼が出て行った、その後で。
一人残ったルークは、顔を洗うでもなく疲れたように壁にもたれかかって腕を組んだ。そうして、自分の身体を見下ろしながら低く呟く。
「『ルーク』ね。……参ったな、こりゃ。何がどうなってんだか」
* * *
「あ、ルーク! おっそーい!」
「ようやく来ましたか、寝ぼすけさんですねぇ」
「体は大丈夫ですの、ルーク」
「顔色、よくなったみたい。よかった……」
部屋に入るや四者四様に迎えられて、ルークはどこかきょとんとした様子だった。大方、体調不良を隠しきれていたと思っていたのだろう。生憎と、皆気づいていたのだが。
アニス、ジェイド、ナタリア、ティアと顔を見渡して、ドアの傍にいたガイにも視線をやる。
その視線にガイは軽く笑った。
「何驚いてるんだよ。お前の隠し事なんか、みんな気づいてたっての。なあ、ミュウ」
「はいですの! ご主人様、アルビオールに乗ってるときからずっと辛そうでしたの! ミュウはとっても心配したんですの!」
視線を向けられた小さなチーグルは、悪気なく精一杯同意して頷き、ちょこちょこと嬉しそうにルークに駆け寄った。
だがルークは少し目を瞠ってミュウを見詰め、やや固まる。
「みゅ?」
「……あー、いや。悪かったな、そりゃ。サンキュ」
内心ショックだったのだろうか、微妙に言葉を濁しながら言って、お前らも、と改めて仲間たちを見渡した。そして少し考えるように視線を落としてから、ふと顔を上げる。
「なあ、一つ訊いていいか」
「どうしたの?」
不特定多数に向けられたらしい問いにティアが首を傾げる。
「“テルカ・リュミレース”……これに聞き覚えある奴いる?」
何の話だ。
おそらくその場の誰もが思っただろう。代表するようにジェイドが肩を竦めて答えた。
「何の名前ですか、それは」
「……いいや。気にしないでくれ。ちょっと変わった夢、見たみてえだ」
ルークはどこかルークらしからぬ雰囲気で苦笑して、首を振って見せる。だがその微妙な違和感に誰かが問いを重ねる前に、ルークは「にしても」と声をあげた。
「腹減ったな。皆はメシもう食ったのか?」
「え? いえ、まだよ。ルークが起きてからにしようって言っていたの」
「そーだよ。アニスちゃんもうお腹ペコペコ〜。待っててあげたんだから、ルークのポケットマネーでしっかり食べさせてよね!」
「ポケットマネーって……おい、押すなって」
ぐいぐいとアニスに押されるままルークは部屋から押し出され、そのまま少し遅い夕食の運びとなった。
――よくよく考えれば、このとき異変はあったのだ。仕草や言動、ほんの少しずつ違和感は挟まっていた。
けれど本当に少しずつ挟まれたそれは、結局誰も大して気に留めるほどのものにはならず、上手に上手に隠された彼の重大な変化に、このとき誰もが気づかなかった。
しかしそれも致し方ないだろう。
ルークがルークではない、なんて、誰がそんな突拍子もないことに思い至れるだろうか。
ましてや中身が正直者ならいざ知らず、そのときルークの中にいたのは、自信家で皮肉屋な頭の切れる青年だったのだから。
幸か不幸か、決定的なボロを出すような真似を彼がするはずもなかったのだ。
2011.12.08 とよづき