流星スコア//(星巡り)07


 ほんの一呼吸分。それだけの沈黙があった。そしてその沈黙はすぐに破られる。
「ティ、ティア? どうしたんですの?」
「そ、そーだよ、寝ぼけちゃった? ここは宿で……」
 ナタリアとアニスが両側からずいと寄って覗き込むが、ティアは更に困惑を深めたように身を小さくする。
「あ、あの……すみません、あなた方は……?」
 また一つ。沈黙が挟まれた。
 戸惑いもあらわにきょろきょろと視線を巡らせるティアは、いつもの彼女とは言い難い。どことなく頼りない雰囲気を醸し出すティアに皆がどこかぽかんとしていた。
 ガイも漏れなくその一人だったのだが、その視線の先で二度目の沈黙は破られた。破ったのは、ティアのベッドの足元に立っていたルークだ。

「――落ち着けエステル。何も取って食われたりしねえよ」

 呆れを含んだ、どこかルークらしからぬ落ち着いた声音で、彼はガイ達の知らぬ名前をティアに向かって確かに呼んだ。
 それにぱちぱちと目を瞬かせたのはティア自身で、やがて大きく見開かれたその目はルークを見詰めて固定される。
 彼女の視線に応えるように、ルークは笑って見せた。
「お前だろ? エステル」
 確信を持って繰り返される名前に、ティアは小さく、あ、と声を漏らす。
「どうして……」
「どうしてだろうな。……てか、それはお互い様だ。なんでお前まで来てんだよ。また悪者にでも追っかけられでもしたのか?」
 冗談めかしてルークはガイ達が理解の及ばないことを言い、けれどティアはそれを理解したようだった。
「嘘……、ユーリ……ユーリなんです? 本当に……っ」
 声を少し震わせ、見開いた瞳が潤む。
 ティアの口から出たまた知らぬ名前と、理解の追いつかない現状に首を傾げることもできずに固まったガイ達は、すっかり蚊帳の外だった。
「嘘じゃねえよ。こんなナリだがな」
 だから落ち着け、とルークは手を伸ばしてティアの頭を撫でる。ルークならば、と言うよりはこの二人ならばしないであろう動作にガイは何とも言えぬ違和感を覚えた。
 しかしルークは慣れたふうに頭から手を引いて、肩を竦める。
「……もっとも、お前もその姿なわけだが」
 指摘されて、ティアはようやく自分の体を見下ろしたらしい。そして再び困惑を顔に滲ませた。
「わ、私、誰です?」

 ――こちらが聞きたい。


 * * *


 そんなわけで、とルークは困惑を極めるガイ達に向き直って言った。
「そろそろ潮時かとも思ってたんで、バラしとく。――どうも初めまして、少し前からルークの体を借りてる、赤の他人だ」
 飄々と言ってのける彼は、確かにルークだ。だが隠すことをやめた彼からは、ルークらしからぬ雰囲気をしかと感じた。
 船上の一件からこちら、確かに違和感は感じていた。別人のようだと過ぎってはいたが、実際に別人だと名乗られても、現実味はわかない。
「赤の他人って、どういうことだよ。どうして……いつからだ?」
 上手く考えが纏まらぬままガイが問うと、ルークは首を横に振る。
「さあな。原因はわからねえ。ただ、一週間ほど前、オレは目が覚めたらルークの中に入ってた。チーグルの森に行く前だよ」
 時期を聞けば、思い当たったことがあった。以前グランコクマに来た際、ルークは今日のティアのように倒れたのだ。その目覚めを見たのはガイだったが、言われてみればあのとき、ルークの様子は妙だった気がする。
「えー!? そんな前からぁ!?」
「そんな……有り得るのですか、こんなこと」
「しかし、ルークが戦闘に混ざらなくなったのは確かにその頃からでしたね」
 信じられないと言った声をあげたアニス、ナタリアに次いで、眼鏡を押し上げながら薄く笑みを浮かべたのはジェイドだ。
「最近、少し妙だとは思っていましたが、まさかそんなことになっていたとはね。確かに戦い方を見る限り、まるで別人のようでした。人はそれほど器用なことはできない。それがルークなら尚更です。……それで、あなたのお名前は?」
「ユーリだ。ユーリ・ローウェル。……ま、ルークが多重人格でもなけりゃ、間違いなく赤の他人だよ」
 やっぱ気づいてたな、と片眉を下げて、ルークの姿でまるで違う名を名乗った彼は、再び視線をティアに向けた。
「それでどうやら、ティアも同じ状態になっちまったらしい。倒れたって聞いてもしやとは思ったが……。エステル、とりあえず自己紹介」
 促されたティア――の姿の別人は、まだどこか疑問符を浮かべた表情だったが、ルークを見、大丈夫だと伝えるような頷きを受け取ると、ひとつ頷いてふわりと笑って見せた。
「私はエステリーゼと言います。エステルって呼んで下さい。……ええと、ユーリ?」
 普段のティアならばあまり見ることのできない笑みを浮かべて、彼女は軽く会釈する。そしてどこか困ったようにルーク――ユーリを見上げた。
「説明は後な。……ま、そういうことだ。ちなみにエステル、お前が今動かしてる体の奴はティアって言う」
 宥めるようにまたティア――エステルの頭を撫でつつ、事もなげにさらさらと説明しているユーリの言葉に、ガイははっとした。
「そうだ、本来のルークやティアはどうなってるんだ?」
 本人を目の前にしながら無事を問うのも奇妙な状態だが、致し方ない。
「いるよ。少なくともルークはな。何ていうか、頭の奥? その辺で声がする。話もできるが――、と」
 言葉を中途で切って、ルークの姿のユーリはしばし耳を澄ますように動きを止めた。そして、伝言だ、と前置く。
「ルークから『俺は平気だから気にすんな』だとさ。……何か話してみるか? オレの作り話と思われても何だから、ルークしか知らない話とかさ」
 確かに、いくらでも言葉は偽れる。ここまでして嘘を言っているとも思いがたいが、まだ信じきれていないのも事実だ。ユーリの提案にガイは少し考えてから、じゃあと口を開いた。
「お前の――ルークの屋敷のお前の部屋にある引き出し。一番下の鍵のついたところに入ってるものは?」
 ユーリはルークの屋敷を知らないはずだ。彼がルークに入ってしまってから、一度もバチカルには帰っていない。そしてあの引き出しの中身を知る者自体もごくわずかなはずだった。
 少し緊張した空気が流れ、しばらくの間を挟んで、ユーリは答えた。
「日記、だとさ。昔の日記が入ってるって、言いにくそうにしてるぜ」
 ――当たりだ。
「……どうやら、本当にルークはいるらしいな。ティアはどうなんだ? ええと……エステル?」
 信じがたいことではあるが、辻褄は全て合ってしまう。これ以上疑ってかかるのは不毛だし、ユーリというこの人物にも好感は持てた。
 一方で話を振られたエステルと言うらしい彼女は、眉を下げて首を横に振る。
「私の方は何も……」
「ま、オレのときもルークは三日経ってようやく目を覚ましたんだ。そのうち突然声が聞こえて来ると思う」
 びっくりしすぎるなよ、と冗談交じりにエステルに言うユーリはあっけらかんとしたものだが、この異常事態に大したものだ。彼につられてか、元から知り合いらしいエステルもそう混乱していないようだが、間違いなくこれは常軌を逸している。
「ええ、ルークが起きるまでそんなにかかってたの? でもあたし、言われるまで全然気づかなかったよ」
 ユーリの言葉を受けて、アニスが驚きの声をあげた。ふつーにルークだったよね、と周りに同意を求めた彼女には、若干気まずそうにナタリアが頷く。
「ええ……言われてみれば、少し変わったところもあったかもしれませんが、その程度でしたわ」
「変わったところと言えば、まあ言動がルークらしくなく賢かったところくらいでしょうかねぇ」
 続けざまに言われたそれらの証言には、ガイも苦笑を浮かべたまま何も言えなかった。自分も、あの戦闘の一件がなければ決定的な違和感を覚えずにいたかもしれない。
「……おいおい、ルークがへこんでんぞ?」
 ルークの姿で、ルークと言う。相変わらず妙な状態でユーリが肩をすくめて、とりあえず、と一同を見渡した。
「改めてそっちの自己紹介とかしちゃくれねえか? オレも聞き覚えただけだし、エステルもいるし……あと、こいつも」
 言いながら彼が持ち上げたのは、足元にいたミュウだ。相変わらず犬のような鳴き声しかしないミュウは、やはりワンと応える。
「……まさか、ミュウもですの?」
「そのまさかだな。俺の相棒の犬の、ラピードって言う」
「い、犬……」
 どことなく哀れむような視線を向けられたのは、本来のミュウに対してだろう。不本意そうにガウと鳴いたミュウの姿のラピードを、ユーリは目をぱちくりとさせているエステルの元に下ろした。
 そうして彼は相変わらずあっさりと言葉を継ぐ。

「ちなみにオレ達は違う世界から来てるんで、その辺も宜しく」

2011.12.12 とよづき